足なんて飾りです。偉い人にはそれがわからんのです。

計算機とかプログラミング言語なんて,本当は無いほうが良いんですよ.スーパハカー にはそれがわからんのですよ.

via http://d.hatena.ne.jp/sumii/20060507/1146963885

私も同意します。コンピュータとか、OSとか、プログラミング言語とか嫌いです。

究極の目標は、何もすることなく、ソフトウェアを構築することができること。

まぁ、もちろんそれは無理としても、いかにして、品質の高いソフトウェアを生み出すか、というのが今の自分にとっての人生のテーマです。

結局、私は「ソフトウェア」を作りたいのではなくて、「ソフトウェアを作る方法」を見つけたい・身につけたいんですよね。はい。

それでいいです。手段が目的化した阿呆ですから。

「意味上の純粋性」と「コミュニケーション上の通用性」

単語選び、言葉選びにおいて、「意味上の純粋性」と、「コミュニケーション上の通用性」のどちらを重視するか。

プログラマな世界においては、「ハッカー」という単語なんかが、その話しのいい例かな。

プログラミングを尊ぶ者にとって「ハッカー」とは憧れの存在であり、目指すところでしょう。だけど、一般人にとって「ハッカー」とは、クラッカーを意味する、悪者にほかならないでしょう。つまるところ「ハッカー」という単語が束縛する対称が違うんですね。しかも対極的な意味合いで。

そんななか、仮に一般人に、「ハッカーなんて、いなくなればいいのに。」なんて意見を言われたら、プログラミングを尊ぶ私は、何と返せばよいのか。

ここで、「いや、『ハッカー』っていうのは、本当は凄いプログラミング能力を持った人でね〜...」などと「ハッカー意味論」切り出すか。それも悪くないかな。思慮ある友人であれば、きっと理解してくれるでしょう。

だけど、その相手が、会社のワンマン上司であったら? 弱気な私なら「そうですよね〜。」としか言えないかな。つまるところ最終的には、「コミュニケーション上の通用性」を重視しているということか。

でも、世の中には、そういったことをお構いなしに、「ハッカー意味論」を切り出すような、「意味上の純粋性」重視な方々もいたりしますね。

どちらが良い/悪いかなんて、私なんかが軽々しく言えません。ただ「コミュニケーション上の通用性」を重視する私一個人の意見として、「意味上の純粋性」を重視する方に対して、「うわ、痛いなぁ。」というある種、卑下するような思いと、「自分の信念を貫いてるなぁ。」というある種、尊敬するような思いが入りまじっていて、その心情は複雑です。

本当の効率

非効率なソフトウェアが醜いのではない。醜いのは、プログラマに不要な仕事をさせる言語だ。本当の非効率性とは、マシンの時間を無駄にすることではなく、プログラマの時間を無駄にすることだ。コンピュータが速くなればなるほど、このことははっきりしてくる。

プログラマの仕事効率。これをいかにして向上させるかが、プログラミング言語の価値を大きく左右するということか。

LLが注目を浴びるのも、昨今のコンピュータがLLを使うのに十分な速さを確保でき、かつLLが旧来の言語に比べ、プログラマの仕事効率を確実に底上げしてくれるからであろう。

まぁ、あたりまえっちゃ、あたりまえのことなんだけど、大切ですよね。

のだめカンタービレ

のだめカンタービレ(1) (講談社コミックスキス (368巻))

昨日は徹夜仕事ななか、待機状態になったので、同僚に借りてた「のだめカンタービレ」を読んでた。


したらば、めっちゃおもろ!

久し振りにサックスを吹きたくなりました。

クラッシックとかさっぱりな人にも、楽しいのでおすすめです。
(てか、すすめなくてもすでに人気か。)

あと、ボレロのシーンでソプラノサックス出てて少し嬉しかった。
サックスが入る構成のオケって少いんだよね。